4月といえばあの恐怖パート3
少し時間が空いてしまいましたが、続きを。
私たちは少し離れたところにお風呂のついでに飲み物等買いに行く時は全ての身の回りのものを持って移動していました
盗みをさせないため、もありますが
やっぱり何もなくて、食べ物も飲み物もギリギリ。
父母ときょうだい3人の5人家族で、父は仕事に行っていましたが
仕事先が全国規模で、物資持っていっていいよと言ってもらいお世話になっていました
後の話ですが、水や携帯食料がわんさか届くようになり保管に困ったと言います
それは市、県でも同じだったらしいです
避難して3,4日が経った頃、賞味期限が当日のおにぎりやスイカ、キッチンカーが来たりパン等が配られるようになりましたが
キッチンカーやパン、牛乳等は人気で
少なくなってきてから個数制限をかけるために
いっぱいもらう人とひとつももらえない人が混在するようになりました
私たちは比較的運良くごはんにありつけていたので
並ばないことにしました。
目の前で肉巻きおにぎりがなくなったのは少し残念でしたが、、、
給水車も、見かけた限りでは1番遠くて青森からも来ていただきほんとに感謝してもしきれません
長蛇の列に並んででも水が1番大事だと思い知らされました。
次のパートは家に戻ってからの話を書きますね
聞きたいことがあればコメントで教えてくださいね